深夜の徘徊
こんばんわ
新倉です
今日はなんか気分が晴れないんで
文章にでも起こして気分転換になればと思い
書きます
普段は狙った時間帯にきっちりブログをあげるのだけれど、本気で書いたブログがあんま伸びなくて笑ったので、もういーやって感じで
深夜のネットサーバーをさまよっている人たちの時間つぶしにでもなればいいなと思ってこの時間にあげてみます
これはまぎれもない本心のお話
これは地元の川
自分は中身のない人間だと思い始めてから10年ほどたつわけですが、最近は中身がなくてもいいんじゃないかって思えてきました
ある山を想像してください
でっかい山です
🏔
その山はまさに自分のインプット
積み上げられた知識、教養
山には様々な鉱石があり、それがおりなって出来上がっています
🏔
この山の一番深いところに自分というものがあります。
ある日は山はいい天気に恵まれて、人の心を動かすような絶景を見せたりしますね
その景色に心踊らされて、人生をそこに捧げるような人までいます
たまには雨が降り、雪が降り
そんなような環境下に山はあります
🏔
人間の60%は水でできていると言います
この水を雨として、雨が山に流れ落ちた時、
大抵の水は山に弾かれて川となったり
湖になったりします
山に染み込み、莫大な山の中を進んでいく水もあることでしょう
染み込んだ先に自分という人間がいます
その水は、自分という人間にるたどり着くまでに様々な知識の鉱物たちから、エッセンスを受け取り、独自のものへ形を変えます
それが自分に流れ落ちてくる
なんの変哲もなかった水が、染み出した知識に彩られて、なんともきらびやかな液体へと姿を変えるのです
これがおれの頭の中で、人間の成り立ちを考える上でよく考える構図です
山には種類があります
🗻
とか
⛰
とか
🏔
とか
🌋
こんなのもあります。
山に生き埋めにされる人や
水がろ過されずに、山の中で枯れてしまう人
どうやったら雨が降るのかわからず、天にお祈りする人
逆に雨が降っていて、地下水の道のりが出来上がっているのに、わけもわからず山を削って、その道を絶ってしまう人がいたり
山が高すぎて、人が近づかない山があるように
インプットのしすぎは危険な場合のあるのかもしれない
まさしく自然は比喩
思考は様々、千差万別、森羅万象、広大無辺
これは俺の頭の中の話